Skip to contentバラタナティヤムの歴史と系譜
- バラタナティヤムの理論は、バラタ仙により編纂された演劇論書 「Natya Shastra/ナーティヤ・シャストラ」(3~4世紀頃)に基づいて構築されています。目の表情、首の動き、手の型や装飾に至るまで舞踊様式が詳細に記されています。
- 寺院の巫女/デーヴァ・ダーシーの存在が確認されているのは、パッラバ朝(3~9世紀)の寺院彫刻や南インドのチョーラ朝(9~12世紀)の文献等に見受けられ、寺院の宗教的儀式や奉納舞の痕跡が確認されています。
- バラタナティヤムの楽曲形式が完成したのは19世紀前半。寺院付きの音楽家・振付家「タンジョール四兄弟」が伴奏音楽を数多く作曲して楽曲の基礎を作りました。
- 第2次大戦前後、イギリス統治の時代にバラタナティヤムは一時衰退を余儀なくされまし たが、20世紀前半に愛好家や独立運動の有志、知識人による芸術ルネッサンス運動が盛んになり復興を果たします。こうして踊る場は奉納舞の「寺院」から舞踊芸術として「劇場の舞台」へと移りました。現在のバラタナティヤムの舞踊上演スタイルはこの頃に完成されています。
- 1928年に舞踊と音楽の殿堂「Music Academy」が設立され、舞踊・音楽の教育機関や振興団体が設立されて舞踊家の活動環境が整うようになります。こうして弟子の育成と踊りの継承が盛んになり、以来現在までバラタナティヤムは多くの舞台芸術として世界各地で師匠から弟子へと踊り継がれています。
- 毎年12月~1月、タミルナードゥ州のChennai/チェンナイでは、音楽とダンスの公演が多くの劇場・寺院で、若手からトップアーティストのパフォーマンスが行われ賑わいます。